2024年度第二回エクスカーション報告:国立西洋美術館・谷根千 Part.2~谷根千における場所性を探る~
- ショユモシ・タマーシュ
- 1月11日
- 読了時間: 6分
2024年7月7日(日)に学生ゼミでは東京都上野周辺にてエクスカーションを行った。午前中は国立西洋美術館の建築と常設展を建築遺産研究室(D3) Anton Sidorovと保存科学研究室(M2)岸 創哉による解説付きで見学した。午後には谷根千エリアにてマッピングの体験を建築遺産研究室(D2)Solymosi Tamasによって行われた。
このエクスカーションのレポートの後半のパートを記録する。
谷根千における場所性を探る
文責:ショユモシ・タマーシュ(D2)
2024年7月7日(日)14:00~16:30
谷中・根津・千駄木(谷根千)、東京、日本
参加者14名
English version available at https://note.com/solymi/n/n9b8ffb7f61bc
はじめに
本稿では、修士・博士課程の学生が東京の谷中・根津・千駄木(以下、谷根千)エリアにおける場所の感覚と特徴を捉えるためのパーソナルマッピングワークショップについて、その概要と方法を紹介する。「場所性」は、近年の文化遺産研究で注目を集めるトピックである一方、実例に基づく理解は乏しい。

博士課程2年生のショユモシ・タマーシュが、同じく博士課程の脇園大史の協力を得て主催した今回のワークショップでは、「パーソナルマッピング」を通して「場所性」を実体的に捉えることを目指した。また、谷根千エリアにおける個人的な経験をマッピングすることで、その特徴と場所の感覚をより深く理解する機会の提供を志向した。
谷根千の選定理由
谷根千とは、谷中、根津、千駄木の頭文字をとったもので、独特の歴史的・文化的意義を持つ地区である。谷根千は第二次世界大戦の爆撃や1923年の関東大震災による破壊をほとんど免れた結果、戦前の建築物や都市構造の多くが残っており、東京の歴史的な街並みを垣間見ることができる場所となっている。多くの寺院、神社、商店街が位置し、都市における機能と役割を継続させてきた。これら諸要素は、都市における「場所性」の概念を研究する好例である。谷根千の日常的な環境は、伝統的な都市形態と現代的な都市生活との相互作用の検討に資する。
理論的枠組
ヘリテージ研究の分野では、場所性の概念は新しいものではない。一方、その実践的・感覚的・空間的な調査については検討段階にある。本ワークショップでは、実験的なパーソナルマッピングに関するワークショップの実施および参加者からのフィードバックを通じて、場所性の概念に対する実践的な調査方法の確立を目指した。

文化遺産研究におけるパーソナルマッピングや「記憶の場」の概念は、個人やコミュニティが文化的・社会的環境と相互に関連した概念である。文化遺産は多くの場合、特定の場所や環境と強い結びつきがあり、人々の文化的アイデンティティを形成する。よって、パーソナルマッピングは、対象となる文化遺産地域の文化的・歴史的意義について考える機会を提供するとともに、対象となる遺産の特徴に対する理解を深める。従来の文化遺産研究では、コミュニティにとってその場所のもつ意味を探求してきたが、パーソナル・マッピングは個人と文化遺産との情動的つながりを探求する。こういった文化遺産に対して個人が抱く感情は、対象となる文化遺産地域における「センス・オブ・プレイス(場所の感覚)」を見出すことにつながる。
ワークショップの概要
ワークショップには、修士/博士課程学生の計14名が参加した。参加者は複数のグループに分かれ谷根千エリア内を2時間ほど散策してもらい、そのルート及び各地点における感覚的な経験を記録してもらった。感覚的経験のヒントとなるよう、各参加者にはランダムに五感のうち一つの感覚が書かれているカードを引いてもらった。なお、引いたカードに書かれている感覚を基に谷根千エリア内の散策をしてもらうため、参加者にはグーグルマップや公式ガイドマップ等には目を通さず、自身の感覚的経験を優先してもらうよう伝えた。
考察
参加者の記録した感覚的経験は、谷根千の豊かで多面的なイメージを描き出していた。ある参加者は匂いに注目し、夏野菜の香り、裕福な年配の女性から香る香水、お香の香りなど、多様な嗅覚による風景に注目していた。また、涼しげな書店にいる香りのない老人と、近寄りがたいカフェから漂う魅惑的な肉の匂いといった対照的な経験を記録した参加者もいた。
聴覚に注目した参加者は、自然の音、特にセミの鳴き声が、夏の谷根千の雰囲気を演出していることを指摘した。また、別の参加者は、小さな通りでの鳥のさえずり、大きな道路での車やバイクの騒音、墓地から聞こえる遠くの電車の音を記録した。「美味い!」と叫ぶ人の声、ガラス製の風鈴の音、ジョギングをする人のリズミカルな呼吸音などの他の音も記録されていた。
ある参加者グループは、高級な墓地や人々の時間に急かされていない様子、子どもを連れて散歩している人たちを見かけ、谷根千エリアは「住むにはいい場所だ」という印象を受けた。このような「のんびりとした雰囲気」は、一般的にイメージされる東京の喧騒とはかけ離れており、谷根千における諸々の感覚的経験がその雰囲気をより助長させていると考えられる。

また、大通りではなく狭い路地を積極的に散策した参加者グループもいた。路地を歩く中で、ひっそりと佇むお洒落な店や近隣の生活を身近に感じるとともに、曲がりくねった道がかつては水路や川であったという歴史的背景を知った。水路沿いにはかつて古い染物屋があり、そこで洗濯をしており、現在の生活の様相を感覚的に発見することで、往時の生活の様相に思いを馳せていた。
多くの参加者は、谷根千の都市構造へ注目してマッピングを行った。ある参加者は、特に歩行者の多い道を見つけて散策し、コミュニティ志向の地域デザインを体験した。そうした地域デザインの中に、伝統的な寺社仏閣が位置するとともに、空き家を利用した美術館やギャラリーも位置しており、そうした多様な要素が混在する都市の様相が明らかになった。
都市の結節点としては、鉄道の駅、特に日暮里駅と千駄木駅が挙げられた。それぞれの駅の特徴が周辺地域の様相に影響を与えており、日暮里駅周辺は高層ビルが立ち並び多くのインフラが整備されていたが、千駄木駅は地下にあることも関係しているのか、小さな都市スケールに基づき周辺整備が行われていた。また、谷中銀座商店街も地域の重要な結節点として認識され、食べ物の匂いや人の声といった感覚的経験に基づき、特別な場所性が見出されていた。

結論
本ワークショップで行ったパーソナルマッピングを通じて、谷根千エリアに対する多様な認識が明らかになった。一般的に喧騒的とイメージされる東京に位置するにもかかわらず、自然の音や匂いに関する感覚的経験が、地域の特徴的な雰囲気の創出に貢献していた。視覚的要素、特に閑静な寺院と賑やかな谷中銀座商店街が隣り合う様相は、歴史的な特徴と近代的な都市開発のバランスを保ちながら変化してきた地域の特徴を強く反映している。参加者の様々な経験は、「場所性」が主観的に見いだされるものであり、それが多様であることを示している。
都市遺産は、その歴史性や居住するコミュニティ、変化を与える都市開発の複雑な相互作用により成り立っている。よって、都市遺産を理解し保存する上では、多面的なアプローチが重要である。感覚的経験は各人によって多様に異なり、都市の様々な側面を浮き彫りにするとともに、地域における場所の感覚を描出させることにつながる。本ワークショップは、変化する都市の様相に順応する、都市遺産への柔軟なアプローチの一助となった。
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