2024年度第一回エクスカーション報告: 阿見町の戦争遺跡
- モニカ、黒川
- 2024年7月1日
- 読了時間: 8分
著者: モニカ (M2)、黒川 (M2)
概要
6月1日(土)、2024年度第1回エクスカーション「阿見町の戦跡とダークツーリズム」を実施しました。論文講読および参加者各人のダークツーリズム経験を共有する事前勉強会を実施後、茨城県阿見町に位置する予科練平和記念館および町内の戦跡各所へのフィールドワークを通じ、戦跡整備と町づくりとの関係について理解を深めました。エクスカーション終了後は、参加者全員で感想を共有し、今後の阿見町における戦跡の位置付けとダークツーリズムの展開についてディスカッションを行いました。
目的
海軍航空隊基地をはじめとする戦争遺跡の残る阿見町(茨城県)を訪れ、今後の整備の方向性についてダークツーリズムの観点から考えます。両者の関係を踏まえたうえで、今後のまちづくりにおける観光の果たす役割とその可能性について議論することを目的としました。
1. 事前勉強会「ダークツーリズムについて」(実施日:5/20、参加者:12名)
参加者間での認識の共有にあたって、以下2本の論文を講読しました。
① 井出明 (2015)「ダークツーリズムの真価と復興過程 “復興”のさらに先にあるもの」『日本災害復興学会誌』13号、 pp.49-56
② Kang, E., Scott, N., Lee, T., Ballantyne, R. (2012) “Benefits of visiting a ‘dark tourism’ site: The case of the Jeju April 3rd Peace Park, Korea” Tourism Management. Vol.33(2). pp. 257-265.
井出 (2015) では日本におけるダークツーリズムの展開と特質、Kang, et al. (2012) ではダークツーリズムにおけるインタープリテーションのあり方について、それぞれ議論が展開されました。2つの論文では共に、ダークツーリズムを観光学における比較的新しい概念であり、災害被災跡地、戦争跡地等、人類の死や悲しみを対象にする観光および学習として定義していました。単なる趣味旅行ではなく、地域を深く理解することにもつながるものであり、ダークツーリズムを通じた観光客の経験が重視されていたことから、「ダーク」から連想する遺産およびこれまでのダークツーリズム体験についてディスカッションを行いました。
「ダーク」から連想される遺産としては、国外ではルワンダ虐殺の記憶の場やカリアクラ岬(ブルガリア)、キリングフィールド(カンボジア)など、日本国内では原城(長崎県)や足尾銅山(栃木県)、阪神淡路大震災被災跡(兵庫県)、食肉処理場(例えば東京都)などが挙げられました。戦争や虐殺等に関連する遺産が多く連想され、特に欧米ではその傾向が顕著な一方、自然災害の場が後景化しているのではないかという指摘がありました。また、当事者の経験や記憶との関係から、時間的・空間的距離のある遺産ほど、ダークな印象が薄れやすい性質にあるという意見がありました。
参加者のダークツーリズム体験については、日本人学生の多くが修学旅行での経験を挙げました。一方で、その体験の多くが比較的印象の薄いものであり、要因として学校教育の一環で訪れることにより「行かされている」感が出てしまうという意見が出ました。また、修学旅行等で多くの学校が訪れる広島平和記念資料館の展示が近年リニューアルされたことについては、「リアルさが喪失した」「被爆者個人の記憶に寄り添えるようになった」と賛否が分かれました。両意見に対し、資料館の展示および都市全体における位置づけを通じて、見学者へ何を伝えたいのかが重要であるとの指摘がありました。
これらの議論を踏まえて、ダークツーリズムに対する基礎的な知識や経験、異なる意見を共有した上で、阿見町における資料館展示の構成や戦跡と町づくりとの関係について、エクスカーションを通じて理解を深めました。
2.エクスカーション「阿見町の戦跡とダークツーリズム」(実施日:6/1、参加者:9名)
阿見町は、1922年に霞ヶ浦海軍航空隊が設置され、1939年には神奈川県横須賀から本航空隊に海軍飛行予科練習部(予科練)が移転されるなど、海軍の町として発展しました。1930年から開始された「海軍飛行予科練習生」制度では、日本の旧海軍がヨーロッパ諸国の軍隊に倣い、より若いうちから航空機の基礎訓練を行うことで多くの熟練のパイロットの養成を目指しました。こうした予科練に関する歴史資料を保存・展示するとともに、戦争の記録を次世代に継承し、「命の尊さ」や「平和の大切さ」を伝えることを目的とし、2010年に「予科練平和記念館」が建設されました。
エクスカーションでは、まず「予科練平和記念館」を訪れました(写真1)。展示担当の方から、展示構成(予科練生の制服の「7つのボタン」にちなんだ7つのテーマ展示)や、外観の意匠(予科練生の憧れた空を映すための特徴的な市松模様)についてご案内いただいた後、各自で見学を行いました。館内では、予科練に入隊を志願する少年たちの努力、入隊後の阿見町内での娯楽や楽しいひと時、土浦海軍航空隊と阿見町への空襲、戦局の悪化に伴う特別攻撃作戦、といった「入隊」から「特攻」に至る予科練の少年たちのストーリーが展示されていました。
当時のエリートな少年たちであった予科練生が、空を飛ぶ夢を叶えるため毎日訓練に励む様子の写真や家族に宛てた手紙など、彼らの体験を等身大で展示することにより、苦しい戦争の日々の中にある少年たちの純粋さが伝えられていました。
次に、予科練平和記念館に隣接する雄翔館を訪れました。雄翔館は陸上自衛隊土浦駐屯地内に位置しており、予科練出身者やご遺族により設立された記念館です。館内の展示は主に戦没者の紹介パネルとともに、予科練同窓のご遺族から寄贈された遺書、遺影、遺品等が展示されていました。阿見町における予科練の歴史を中心に展示が展開された予科練平和記念館とは異なり、雄翔館では戦没者の慰霊・顕彰が展示の主題となっていました。
昼食休憩を挟んだ後、阿見町内の戦跡を一部見学しました。「海軍道路」と呼ばれるかつて霞ヶ浦航空隊本部地域と土浦海軍航空隊を結んだ道路を通り、旧霞ヶ浦海軍航空隊本部のあった現茨城大学阿見キャンパスで公開されている方位盤(阿見町指定文化財)、国旗掲揚塔(阿見町指定文化財)、庁舎階段親柱(阿見町指定文化財)、基地門柱及び外壁(未指定)を巡りました。これらは公開されているものの、高い草木で囲まれており、事前に存在を知らなければ訪問者の目に入りません(写真2)。
庁舎階段親柱はキャンパスの同窓会館内にあり、施錠されたガラスドアの中を覗き込む必要があります(写真3)。
阿見町指定文化財3点はグーグルマップ上に表示されており、各遺跡の隣にはその歴史を紹介する解説板が設置されていましたが(写真4)、未指定の基地門柱及び外壁はマップ上に表示されず、解説板等も設置されていなかったため、実際の位置を確認するためにスマートフォン等で検索しながら周辺を探索する必要がありました。
海軍航空殉職者慰霊塔と霞ヶ浦神社社号標を見学後、阿彌神社に移築された旧霞ヶ浦神社社殿まで歩いて移動しました(写真5)。
旧霞ヶ浦神社社殿は航空殉職者を祀る神社であり、戦前は阿見町にとって重要な場所でしたが、戦後は進駐軍による廃棄と祭神の焼却が指示され、現在の位置に移築されました(写真6)。旧霞ヶ浦神社社殿は、予科練平和記念館内の展示でも一部紹介されていましたが、その社殿自体の歴史と現在の阿見町との関連性をより明確に説明する必要があるとの意見が挙がりました。
3.ディスカッション(実施日:6/1、参加者:9名)
エクスカーション終了後、大学に戻ってディスカッションを行いました。参加者からは、「予科練生たちの「当たり前の日常」を展示するという視点が他の戦争関連博物館・資料館と異なる」、「多言語化が進んでおらず日本人以外は理解しにくい」等の感想がありました。
中心的なトピックとして、予科練平和記念館における展示と町内に点在する戦跡の整備手法を比較した際、同じ阿見町における戦争の歴史を示しているにも関わらず、両者の関係性が見えにくい点が指摘されました。阿見町では、主に2010年代から町内の戦跡の文化財指定を進めており、近代化遺産や戦争遺産としての価値認識についての議論が十分でないことがその要因として挙げられました。各戦跡間の結びつきも弱く、点在する戦跡を当時の生活の様相といったコンテクストに沿って繋いでいく試みが必要であるという指摘がありました。加えて、現在の道路計画や大学等の文教施設といった阿見町における地域資源の多くは、予科練の町として発展した歴史の影響を強く受けており、こうした側面を戦跡と結び付けることの重要性も指摘されました。その上で、阿見町における戦跡の価値について地域内で十分に議論し、阿見町以外からの来訪者の多い予科練平和記念館と、町内の戦跡を結びつけていく必要があるとの結論に至りました。また、こうした展示資料館と町内の戦跡との関係から今後の観光を考える姿勢は、阿見町だけでなく他の自治体においても当てはまると考えられます。
今回のエクスカーションは、「ダークツーリズム」の観点から戦跡の在り方を考えるものでした。たしかに戦争の歴史は阿見町の住民にとって悲惨な記憶である一方、同時に現在の町づくりへとつながる側面も見落としてはならないと考えます。阿見町の歴史的要素である戦跡を観光の対象とする上では、その資源および価値を有機的に関係させていく必要があります。一方、必ずしもダークツーリズムの概念の下に「負の側面」だけを抽出するのではなく、むしろ現代まで続く歴史の中で、広く意味を捉えるような観光利用を進めていくことが重要です。予科練の歴史は阿見町にとってかけがえのない歴史であり、地域のアイデンティティーの一つでもあり、町づくりの資源にもなると考えています。
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